nachari’s blog

最近なみだもろい私の涙した話

激震 はじめてのひとカラで涙

 

「これは手をだしてはいけなかった。」

 

趣味がないな~、行くところないな~。

なんて思って目的もなく車を走らせていたときのこと。

私はこれといった趣味がなく、いや、なんにでも興味があって限定的でないというか飽きっぽいというか、その性格のために、時折なにをしたいのかわからない日が定期的に訪れる。そしてそれがまさにその日だった。

 

以前から、友人がヒトカラを楽しむ姿をみていた。

「またいったんだね」と驚かないほど、彼女にとっては日常的な出来事となっていた。

たしかに、たしかにカラオケはたのしい。

もともと私は音楽がすきでライブも行くほどだ。カラオケ自体だいすきだ。

これまでカラオケに行くとすれば、もっぱら友人や家族とで、ものまねをしたり、十八番をうたってはきもちよくなり。遊びにいくといえばカラオケというほど手軽に利用していた。

しかしヒトカラだけはしたことがなかった。

好奇心旺盛でもあり性格上、ヒトカラができない理由はない。幸い、これまでカラオケに行きたいな~と思うたびに付き合ってくれる人がいた。そう思うとヒトカラをする理由がなかったんだともいえる。今までは。

ある日に私は当てもなく車を走らせているわけなのだが、突然思いつくのである。

ヒトカラいってみよう。」

現在地から一番近いカラオケを探して向かう。気持ちはもうライブに向かうくらいの熱量だった。目的が明確になったこともあるが、やったことのないことを体験するという期待とかわくわくとかがこみ上げていた。

そうこうしているうちにジョイジョイへ到着。駐車場が開いていない。平日なのに、だ。しかもちょうど昼頃の明るい時間。

直前で止まったであろう車からはマダムが降りてきた。ひとりだった。

なるほど、これまでカラオケは複数人で休みの日にと思っていたが、主婦層だったりとか時間帯としてもここであることに需要があるのかもしれない。といっても、これまでカラオケ利用者について考えたこともなかったし、だからなんだって話だが、私としてはその考察ができたことすらも面白かった。

さて、今は満車で止められない状況。でももう私も止められない。一度ともった心の熱は簡単には消えない。

現在地より再び近くのカラオケ店を検索。ヒットしたのはBANBAN。学生時代に何度か利用させてもらっていた。たしか学生にもリーズナブルな価格設定だったような。まぁいい、とにかく駐車場が空いていればいいのだ。駐車場駐車場…とぶつぶつ唱えながらBANBANへのナビに従う。ふと見慣れた風景に気がつく。そうか、このBANBANはまさに私が学生のとき利用していたあのBANBANだったのか。ナビの通りただただ走りながら到着したのは地元のカラオケ店だったのだ。

無事駐車場の空きも確認でき、安心と懐かしい思いとともに店内へ。受付を目の前にして「おひとり様かって思われるのかな。」「こんな平日におかしくないかな。」と自分がスタンダードなのかどうかなんて心配な気持ちが、なぜか生まれていた。

いらっしゃいませという声とともに女性の店員さんが迎えてくれた。当然のように手続きは進み、スムーズに部屋にはいった。「ああもうこんなに当たり前のことなんだな。」

ここからは手慣れたもので、上着を脱ぎ、照明の調整をしてからマイクにカバーをかぶせて、ライブDAMにログイン。

「うわ、ずっと私のターンだ」

いつもなら誰かのうたう曲を聴いて、終わる前に次の曲を選ぶという、それがないのだ。時間も気にしなくていい。曲の流れとか考えて似た雰囲気の選曲もしなくていい。ずっと私なのだ。私からはじまり、次も私。その事実に、ヒトカラの大自由さを感じ、ずっしりとソファに座りこんだ。

なにも考えなくていいんだから、なにをいれたっていいんだと、履歴から知っている曲を上から入れていった。おおよそ前利用者はご年配の方だったのだろう。そこは飛ばし、はやりの曲がならぶ学生が利用したであろうエリアから数曲チョイス。

日頃なら、音程があいまいだったり歌詞をみたことがない曲はいれたりしない。前述したように、これまでカラオケはだれかといっているわけで、空気感というやつがあるのだ。雰囲気を重んじているからな、私は。それに中途半端で終わると、次のターンまでの時間が長くもったいないような気になってしまう。どうなんだろう、同じ気持ちの人はいるんだろうか。

水分をとる暇がないくらいに歌い続け、歌いながら入力が追い付かない状態となったところで一旦休憩。

「ええ!?もう2時間!?」

たのしすぎでは?という驚きで少しの間、ぼーっとしてしまったというか、放心状態になっていた。気持ちのいい疲れもあり、スタートしてからうたった曲を振り返る。

ライブDAMではアカウントを作成することで、自身が選曲した履歴が残る。最新の状態で更新されるため、同じ曲を歌うと以前に歌った履歴は消える。画面をみて「こんなにログを残しておいてくれるのか」と知った。というのも、今まで同じ曲ばかりを繰り返し歌いまわしていたために、実際は数曲しか歌っていなかったのだ。

並んだ曲をみて、私っていろんな音楽を知っているんだな、音楽がすきなんだなと感じた。自分の好きなこととかやっていて気持ちいいことってなんとなくわかったつもりでいても、どれくらいすきなのか、どんな瞬間がすきなのかっていうのはなかなか意識しないと自覚できないものではないだろうか。私はデンモクを眺めているときに、客観的に「音楽すきなんだな」と思えたことがなんだかより自分を知れたという感じでうれしく思った。

「よし、今後は歌詞を意識しながら歌ってみよう。そうだ採点もしてみよう。」

カラオケは歌を歌う場所である。しかしその楽しみ方は様々なんだ。

プルルル…

終了のお知らせである。楽しい時間とはあっという間とはよくいったもので。

飲み終わったコップをまとめる。「4回は飲み物とりにいったよな、いつもより水分とってるな、健康じゃん」なんて笑いながら受付に向かう。

今日はスタッフが少ないのか、少々お待ちくださいとのこと。レジに表記される「ありがとうございました。」という文字になぜか感動してしまった。思わず写真をとり、完全に不審なやつだと思われたタイミングで会計。

店を出たときのあの充実感はたまらなかったし、またできることへの喜びも感じた。

やったことないことにチャレンジするのって意識がないと難しいと思う。でもなにかきっかけがあれば、結構簡単に「やってみる」ができるんじゃないかな。そのきっかけやチャンスにちゃんと気づけるように、自分はなにに興味があって、これをしてるときは夢中だ、とかあれを考えてるときは楽しいとかそういう感覚をきちんと認識しなければいけないと思った。

全てを記憶なんてできやしなくて、目の前の課題に精一杯だからそんな余裕すらもなくて。でも自分のことは自分が一番知っていてあげたい。大切にしてあげたい。驚いたな、感動したな、これすきだったなをたくさん集めていきたい。私は私のコレクターなのだ。

ヒトカラで体験した気持ちを忘れたくないなって思ったのがこのブログのきっかけ。これからたくさんの感動に出会うと思うとわくわくする。

ヒトカラに感謝、ありがとうヒトカラ

また楽しむためにいろいろな楽曲を知らなきゃな。またそこで心動かされるものがあるといいな。楽しみだな。

ほら、もう夢中だ。