nachari’s blog

最近なみだもろい私の涙した話

不妊治療わけわからんけどしんどくて涙

 

タイトル通り、治療をしている身なのです。経緯から話すのは長すぎる気がするので、

まずは今の思考を覚えておくために、直近のことから振り返ろうと思います。

 

先日婦人科の受診でした。

ホルモン補充の注射を打ちに、一日おきに通っています。

で、その帰りなんですけど、車に乗った途端ポロポロ涙がでてくるんです。注射は痛いは痛いですけど、「もうやってくれるな!」って程ではないですし、通うことも「距離が遠くて」というわけじゃないです。ただポロポロと。

なにがってわけじゃないんですよね。なにかこれっていうのがあって、涙がでてるわけじゃないんです。でもハッピーとか感動とかそういうのが原動ではなさそうで。

考えてみたんですね、涙止まりませんし。

まあ、状況も状況なので、概ね不妊治療に関することで当たってはいそうです。でも「つらかったな」「しんどいな」って思いはなんとなくするんですけど、なんでかは明確にわからなくて。それのみでもいいかもしれないですけど、「つらかったです」だけで片付けたくないというか、それじゃあまりにも救われなさすぎるって思って。

浮かんできたのは「ゴールがみえないな」ってことでしたね。

今やってることが、めちゃくちゃハードで通院も注射も「できることなら今にでもやめたい!」(いや、できることならやめたいですけど笑)って感じてるわけではないんです。ただやっぱり、いつまで続くんだっていう絶望感があるんですよね。やっていることの意味がないわけないし、どんなけ取り組んだとしても報われないこともあるし、それはわかってるんです。わかってるんですけどね~頭では。

見込みが立たないことが結構わたしにとってストレスらしいんですよ。

というのも、主人の転勤で県外へ行くことが決まったのですが、割と急でして。

引っ越しといえば、あらゆるマルチタスクをこなして予定日までに完了しなければならないやつじゃないですか。でも、主人との予定もなかなか合わずで、新居がきめられず。場所が決まらなければ、引っ越し業者さんに依頼もできず、依頼できないと段ボールももらえず、段ボールがないと荷造りができず…という。

やらなきゃいけないことがあるのに、進まない状況とか見通しが立たないときにすごく不安な気持ちになるんですよね。で、なにもできなかったことを落ち込んじゃう。なにもやってなくないんですよ、本当は。いらないもの処分したり、本を譲りにいったり、駐車場解約したり。でも思っちゃうんです、「今日もなにもできなかったな、やることはあるのに」といった具合で。

この「何もできなかったな」思考はわたしの特性といか、もう肌に染み付いちゃってるやつでどうしようもないんです。だいぶ緩和はされてきてると思うんですねけど(主人のおかげで)、もうここまでくるとわたしの個性ですね。

そうなってくると、この不妊治療問題、やっかいです。

なにぶん、手放しで安心できるような見通しが立った状態なんて、赤ちゃんが生まれたときか治療自体をあきらめるときですからね。引っ越しみたいにタイムリミットがあるわけじゃないです。引っ越しはいずれ終わりますからね、そう考えるともっと精力的に引っ越し作業取り組めそうです(笑)

話は車内に戻りますが、ゴールがみえないことに対してネガティブになるっていうのは、できればやりたくないことだし、絶望を感じるからだと前述しました。でももしポジティブなことだとしたらどうかなって思ったんです。楽しいまでいかなくても、ゴールができなくてもいいって思えたらどうだろうって。

ちょうど受診の前に、本屋さんへ立ち寄って妊活の雑誌を読んだんです。たまたま目に入ったんです。初めてでした、そのたぐいの本を手に取ったのは。避けていたわけでもないですけど、今思えば当事者意識がないというのもあったのかもしれないです。治療しといてあれですけど。認めたくないって思ってたのかも。わかんないけど。

でね、その本に「私はつらくありませんでした」的な内容をみたんです。「ああ、こういう価値観のひともいるんだ」って正直驚きました。

治療になる流れって、私の想像では「赤ちゃんほしいな」→「なかなかできないな」→「受診しよう」→「治療」だと思っています。ほかにもあるかもしれないですけど。だから、治療に臨む気持ちとして「赤ちゃんがほしい」っていうのが、叶わなくてもしょうがないなって思っていなければ「つらくない」っていえないと思うんです。

雑誌にはそのインタビューされた方の、つらくない理由というか、治療のときの思いが書かれていました。夫婦仲がよく、ご主人からは二人での生活でもいいというようなことをわれていたそうです。また周りに隠さず、治療中というのを知ってもらうことで、協力がえられる環境にしていたみたいなんですよね。すごいなって思いました。なにがって、それをこうこうこういう理由だからつらくなかったって言いきれることが。

冷静にね、冷静に順序だてて考えたら、治療ってつらいんじゃなくて結果がわからない不安なんだって思うんですよ。不安なことがつらいって思ったらもうつらいんですけど(笑)

なんだかね「私はちゃんとわかってるよ!どんなことがあっても受け入れる覚悟もできてるよ!みんなもついてる!だから大丈夫だよ!」ってね、その人がいってるみたいですごいなぁっと思いました。わたしもそのステージにいけたら、もっとちがう気持ちで通院もできるだろうにと、全文も読まずそっと本を閉じました。

夫婦仲でいえば、とってもいいと思います。インタビューされた方のご主人のようなこともいってくれてます。でもね、とはいってもね。「わたしのせいで」とかおもっちゃうわけですよ。検査もある程度しました。原因はわかりません。不妊ってそうらしいです。原因わからないことがほとんどだって。だとしてもね、思っちゃうもんなんですよ、こればっかりは。

そうなってくるとね、やっぱり周りにいいづらいといいますか。そもそも大々的に発表することでもないですしね。ちょっと流れが暗い感じになってますけど、しょうがないです。結構わたし的にデリケートな部分になってますのでね。いま必死で文字にしてるとことです。

周りに知ってもらうメリットとして、協力が得られることだったり不必要に傷つかなくてもいいってことだと思うんです。敵意のない「こどもつくらないの~?」やらを回避できるわけですから。今時、そんなデリケートなこと話題にして「なんとかハラ」とかで攻められる方がリスク高いですよね。

デメリットとしては、対相手に気を遣わてしまうことでしょうかね。伝えたがゆえにこっちが気を遣うってのもありますね。私はこの気を遣う遣われる問答がきついですね。特に家族だとかなりきつい。

時代は変わったとしても、価値観ってそう簡単には適応していかないですよね。わたしは片親で、祖母と3人で暮らしてきました。祖母も離婚しておりまして、なんというか「強い女たち」みたいな家庭だったんですよね。まあその話はまた機会があるときにするとして、その祖母なんですけど、そもそも婦人科に通っていることをよく思ってなくて。妊娠なんて自然にするものって認識なのでね、そりゃそんな人からしたら、「なにをやっとるんだ!どんだけ時間かかるんだ!おかしいだろ!やぶ医者!」と、こうなるわけですよ。毎回毎回実家に帰るたんびにそれ。ちょっとしんどそうでしょ?(笑)でも、価値観の話だし祖母は年齢も年齢だから、いまさらそれをどうのってすることは難しいというか不毛というか。それに私のことが心配ゆえのってすごく伝わるのでね。なんでね、「そんなこといわないで~」とか「がんばるね~」とかいってなんとなくやり過ごそうとするんです。ただ、そうやって流せるときばっかりでもなくて。結構強くいっちゃったりすることもあるんです。そのあと猛烈に反省します。そりゃもう猛烈に。だってだれも悪くないですからね。感情がね、うまくコントロールできなくなるときがあるんです。今はそんなときの対処法をいろいろ実験中なので、これも機会があれば記事にしますね(なんでもネタ)

デメリットの話ですけど、自分の家族だけじゃなくて、主人の家族に対しても申し訳ないなって思っちゃいます。ほらもう年末じゃないですか、挨拶にいったときに親戚の方も揃われる可能性あるじゃないですか。想像しただけでぐっとしちゃう。「不妊治療中だっていえばいいじゃん」って思いますか。私もそう思ったこともあるんですけど、やっぱ申し訳なさが上回るんですよね。たまにしか会えないのに、気を遣わせてしまう、心配をかけてしまうってね。そっちのがきついんですよね。まぁどっちもきついんですけどね!(笑)

見通しが立ってないからこそ、そうなったときに説明できない。終わりがわからないとしても、いまこんなことしてるんですってことさえいえないのは、治療している自分のことを開き直れるくらいに認めることもできてないから。まだどっかで「自分はちがう」とか「きっともうちょっとで」とかどっかよそ事なんだなって思います。この気持ちと折り合いがつけば、涙も勝手にはでないようになるかもしれないですね。

「しんどいな」を細分化すると、なかなか難しい課題だってことがわかってきました。おもに私の性格とか特性のせいでこじれちゃってる気持ちの問題ですが。幸い時間がありますので、自分としっかり向き合っていこうと思います。わたしのことを理解して、もっと楽に生きられらるようにしてあげたいものです。

明日も受診です。

また帰りにポロっとしちゃったら、記事にしないと(笑)